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日本語が亡びるとき

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
(2008/11/05)
水村 美苗

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小学生の時、どうしてこんなに多くの人が“同じ日本語”を話しているのか
とっても不思議に思った記憶があります。
方言の違いはあるにせよ、歩いていけない範囲の人たちが
こんなにも同じ言葉を話しているのが不思議で仕方なかったのです。
この本は昨年梅田望夫さんがブログで絶賛されていて、
お正月の海外旅行のお供に持っていって読んだ本。
読んでいてそんな小学生の体験を思い出したのでした。
こんなに大きい範囲で人々が同じ言葉を話していたのは
もともと違った言葉を話していたのに、駆逐されていったから。
国民国家の成立以来、たまたまそれぞれの国の言葉で
それぞれの国の人たちが知的活動を行ってきましたが
近年さまざまなことが国境を超えて行われる中で、
それが英語に取って代わられてきている。
しかし、近代以前を考えれば
これまでもラテン語にせよ漢文にせよ
力を持った国の言葉が、周辺国の知識人に使われてきたというもの。
筆者は小学生で父親の仕事の関係でアメリカに移住、
しかし英語になじめずずっとフランス語を専攻してきた
という得意な経験をバックグラウンドに、
日本の知識人が日本語で読み、書き、そして
思考をしなくなることに非常に危機感を抱き、
最終章ではエリートのみに徹底した英語教育を行うことを提案しています。
どうしようもない問題で、でもエリートに英語教育という方法もしっくりこず
かといって自分なりの考えもあるわけではなかったので、
今まで感想を書いてこなかったのですが…。
まだ考えは出そうにないので、ひとまずブログに書いてしまいました。
同じ時期に「ほぼ日」で主催した吉本隆明さんの講演では
言葉というよりも、「沈黙」の大切さを説かれていて、
言葉というもの自体を考えたり…。
まだもやもやと考え中です。
それから言葉の問題とは別に、この本で非常に印象に残ったのが
筆者と母親との痛々しいまでの関係です。
非常に聡明な女性なのですが、精神的なものから体調をよく崩されていて
その原因が母親との関係であることが、本を読んでいると浮かび上がってくるのです。
現在50代後半ながら、今もパワフルな母親に苦労している様子。
アメリカにわたったのが小学生後半でありながら、
そこから英語を習得しなかったというエピソードも
アメリカ好きだった母親との関係が影響しているように思えてなりません。
思春期で拒食症の少女が、実は母親を拒みたいのが原因であるように
この人は英語を拒否したのではないかと。
パワフルすぎる母親を拒みつつ、でも母親に甘えたいという気持ちが
行間から伝わってくるようで、非常に痛々しい部分があるのです。
水村氏の体調が少しでも回復するようにと、祈るばかりです。

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