アーカイブ ‘ 2010年 3月

大仏的プロジェクトX

名作選 奈良の大仏 奇跡の復活劇
~それは少年の涙から始まった~

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いや~、今日ご飯を食べながら、たまたま
NHKの「歴史秘話ヒストリア」を見ていたのですが、びっくりしました。
江戸時代、綱吉の時代に奈良の大仏の再建に尽力した
公慶という東大寺のお坊さんの話なのですが…
まさに江戸時代的プロジェクトXのようなお話です。
そもそも奈良の大仏が何度も地震や火災で壊れて(?)
その度にさまざまな人が再建してきたということも知らなかった。
でもあの有名な弁慶の勧進帳は東大寺の再建用の勧進帳だったのですね。
公慶は一人で全国を回って、7年かけて10億円分の最近資金を集めちゃうし。
勧進の旅の間は、大仏に失礼だからと横になって寝なかったっていうし。
(座って壁にもたれかかるだけ)
その疲れを表すために、東大寺に残る公慶像は片目が真っ赤に充血してるし。
全国で勧進をするために、大仏のらほつを見せたり、
過去の再建の時と同じエピソードが起きたことを紹介して成功の可能性が高いことを話したりと
とてもストーリーの持たせ方がうまいし。
大仏再建のイベントの時は、救急センターから迷子センターまで作って
集まる人に気を使い、人々を救うという仏の理念おw実践したというし、
大仏再建後も、今度はそれを守る大仏殿を建てるために将軍に直訴。
巨大な大仏殿を支える柱をさがすためにまた全国を回って、
何年もかけて見つけたのが、宮崎の神社のご神木!
ご神木使ってたんですね。たしかにそのくらいじゃないと大きいのは残ってないんだろうなあ。
で、そのご神木を宮崎から奈良に運ぶのに1300キロ、のべ12万人の人手。
九州から海を渡すのに廻船問屋の協力が必要で、
どの問屋がしり込みするなかでもその役割を買って出た豪傑がいて、
でも巨大な(たしか20トン?)な木材は2本同時に船に載せないと転覆しちゃう。
クレーンがない時代にどうやって同時に2本の柱を船に載せるんだ?
ということに悩んでいたら、娘が夢でその方法を観音様に教えてもらって、
そんな話がいまだに子孫の家では語り継がれていて。
でも大仏殿が完成の4年前に公慶は勧進に行っていた地方でなくなっていていなかった。
(大仏殿の方は幕府がお金を出してくれたけど、自らもまた勧進に行っていた)
弟子が公慶をしたって東大寺境内に建てた小さな建物には公慶の像が安置されていて、
その目線の先には大仏殿があって、
今も月命日には東大寺の僧侶全員があつまって法要を行っている。
とまあ、どこをとってもすごい話なのです。
あまり知られていないことの方が不思議ですよね。
先人の偉業というものは、知らないけれどもたくさんあるのでしょうね。

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